知名定男
「うたまーい」
沖縄民謡界の重鎮にして、第一線で活躍を続ける知名定男。自身のスタジオ録音ソロ・アルバムは1991年『島うた』以降リリースがなく、新作が熱望されていました。還暦を迎える今年、是非知名定男の島唄を届けたい。三線、歌、島太鼓のみで構成された、シンプルで力強いアルバムを作りたい。そのような考えからこの作品が生まれました。
今作の作品に至るには昨年リリースされた作品、『登川誠仁&知名定男』が大きく拘っています。この作品は知名が自身の師匠と共演したものですが、当時のインタビューでこのように語っています。
「アルバムの出来上がりを聴いて、満足する前にやる気が出てきました。歌わなきゃいかんと触発されましたね。(中略)僕もソロをバンバンやらないといけないと思いました。まだまだ立ち向かう若さもあるし、ベテランのフリをしている場合じゃないですよね。」(2004年5月号 おきなわJOHOより引用)
この思いを形にしたのが、まさに本作です。
知名定男の三線、歌、琉琴(知名定男の父、知名定繁が考案した、沖縄独自の奏法を持つ琴)を中心に、次男の知名定人が三線、初代ネーネーズの吉田康子が三板、囃し、指笛、3代目ネーネーズの與那覇歩が囃し、ひがけい子が太鼓で参加しています。
「うたまーい」とは、“歌のあるところを訪ねてまわる”という意味を持つウチナーグチ(沖縄方言)です。
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選曲は知名定男自身が行い、M3のみ制作サイドがリクエストしました。 M13のカチャーシーナンバー、M4の遊び歌などの沖縄民謡のスタンダード曲を中心に、M3は初代ネーネーズのデビューアルバムにも収録されているナンバーで、知名定繁と故・照屋林助の作品です。M7は知名定男のオリジナル曲であり、1972年大ヒットを記録した作品です。
1945年大阪生まれ。父は琉球民謡界に多大な功績を残した故・知名定繁。
小さい頃から音楽的才能を発揮し、1957年、米軍統治下にあった沖縄へ密航、登川誠仁に師事することになる。同年「スーキカンナー」で華々しくデビュー。72年沖縄音楽史上空前の大ヒット曲「うんじゅが情どぅ頼まりる」を作詞/作曲。78年にはアルバム「赤花」で本土デビュー。収録曲「バイバイ沖縄」は島唄にレゲエをミックスさせた曲として注目される。
その後91年からネーネーズのプロデュースを始め、同年ソロアルバム「島うた」、92年には「島や唄遊び」、96年には二代目襲名披露公演のライブ盤「遊び唄・情け節」を発表。またブラジル在住の沖縄系二、三世でつくる民謡グループ、トントンミー、男性4名からなる琉球民謡グループ、ザ・フェーレー、鳩間島出身の鳩間可奈子、吉田康子、新生ネーネーズなど、多数のアーティストのプロデュースも手がけている。
2004年には師匠の登川誠仁とアルバムをリリース。同年9月大阪ドームの琉球フェスティバルに2人で出演。現在琉球音楽協会会長を務め、那覇の国際通りでライブハウス島唄を運営している。