レネ・パウロ
「ワイマナロ・ムーン」
ハワイを代表するピアニスト、レネ・パウロが奏でる、ハワイアン の名曲の数々。
ジョージ・ウィンストン氏からも絶賛された前作に続く待望のニュー・アルバムです。
本作はハパの大ヒット曲(M4)、イズのヒット曲(M2)、サンズ・オブ・ハワイのヒット曲(M1)、ピーター・ムーンのヒット曲(M16)など比較的最近の楽曲を中心に選曲。
さらに表題曲のM3、M15は昨年書き下ろしたオリジナル曲、M17はボーナス・トラックとして、表題曲のヴォーカル・ヴァージョンを収録しました。
ハワイで生まれ、74年という歳月をハワイと共に生き抜いてきたリアルハワイアン、レネ・パウロだから表現できた、素晴らしいハワイアン・ミュージックがここにあります。
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Special Track
1930年ハワイ、オアフ島ワヒアワ生れ。母親が弾くピアノに興味を持ち、18歳になると、ハワイ出身の音楽家として初めてニューヨークのジュリアード音楽院へ進学しました。
1950年代は、アメリカ軍属のピアニストとして1年半程を日本で過し、六本木や赤坂、銀座で「ジャズ・ピアニストの帝王」として日本の社交界のトップクラスの人々の前で演奏しました。尚、日本では中村八大氏と親交を結んだり、渡辺晋氏率いる「シックス・ジョーズ」のピアニストとして活躍しました。渡辺氏からは日本に止まって活動してはどうか、と提案されましたが、ハワイに戻り、1960年代からいよいよワイキキにて本格的な演奏活動をスタートします。
当時のワイキキは、“ラウンジ・ミュージックの楽園”と呼ばれる程、クラブやバー、キャバレー(総称してラウンジ)が多数あり、あらゆる場所でピアニストが求められ、アメリカから“夢の楽園”ハワイに大挙押し寄せる観光客の前で、ロマンチックなハワイアンのナンバーを奏でるレネは引っ張りだこでした。
1961年、アメリカ本土のリバティレコードから、ファースト・アルバムをリリースし、その後1970年までに18枚から19枚のアルバムをリリースしました。2002年には32年振りのアルバムを2枚同時にリリース。1枚はハワイアン名曲集、もう1枚はハワイの日系の人々に愛されて来た日本の曲(「ここに幸あり」「見上げてごらん夜の星を」などを収録)ばかりを集めたアルバムです。2003年にはハパ、ケオラ・ビーマなどハワイを代表するアーティストの名曲をカヴァーした「ワイマナロ・ムーン」をリリース。2012年にはマカナ、シリル・パヒヌイなどハワイを代表する15人のボーカリストと共演したアルバム「デュエット」をリリース。2015年3月には、「スターダスト〜スウィート・メロディー・フォー・ハワイ」をリリース。2016年4月には「ザ・ウェイ・ユー・ルック・トゥナイト〜スウィート・バラード・フォー・ハワイ〜」をリリース。2017年7月には映画音楽集「ア・サマー・プレイス〜ロマンチック・シネマ・ミュージック・フロム・ハワイ〜」をリリース。