ダニエル・コラン
「アニバーサリー」
Daniel Colin “L'ANNIVERSAIRE”
オリジナル・ソロ・アルバムとしては、2011年以来、10年振り!
情感溢れるアコーディオンが魅力的な、まさに会心作!
「今回のアルバムには、お気に入りの曲を収録したんだ。僕の最高傑作かも知れないよ!」
(ダニエル・コラン、以下「 」の発言は全て本人による)
1941年11月14日生まれ、今年80歳を迎えるダニエル・コラン。
5歳でアコーディオンに触れ、6歳から本格的な手ほどきを受け、レコーディングした自身の作品数はアルバム約80枚、シングル約20枚に上り、名実ともにフランスを代表するアコーディオン奏者です。
日本との馴染みも深く、1994年開催のコンサート『雪村いづみミュゼットを唄う』に伴奏者として初来日、2006年からは連続6年の来日公演を行いました。
また、桑山哲也氏や、田ノ岡三郎氏は、ダニエル・コランを師と仰ぐなど、日本のアコーディオン界にも大きな影響を与えています。
長きキャリアは、時代の流れの中で、さまざまな紆余曲折があり、特に、1960年代後半には、アコーディオンが古い時代を象徴するものと見做され、「ケースから、アコーディオンを出しかけた途端に、瓶や缶が飛んでくることもあったんだ」と述べています。
アコーディオン奏者にとって冬の時代を経て、1980年代後半から始まったワールド・ミュージックの世界的ブームの中、アコーディオンを中心にした大衆音楽“ミュゼット”が、フランスの文化遺産として、再評価の機運が高まり、ダニエル・コランにも再びスポットが当たります。
2011年リリースの作品を最後にオリジナル・ソロ・アルバム制作から引退したダニエル・コランですが、80歳の生誕を祝福すると共に、“さあ、もう1度素敵な音楽を奏でようじゃないか!” と、彼を支えてきたミュージシャン仲間が企画したのが本作です。
さらに、85歳、90歳、100歳と、その都度、記念アルバムを制作する素敵な計画もあります。
「アコーディオンは、人生の相棒。今も毎日、音階練習は欠かせない。僕はまだ修行の身だよ。今回の録音だって、年下のミュージシャンたちにいっぱい学んだよ!」
Life goes on, Music goes on. ダニエル・コランのアコーディオン人生は続きます。
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1941年、スイスとの国境に近い町、ポンタルリエ生まれ。
母方はフランスに移住したイタリア人音楽一家の血筋、祖父と叔父はアコーディオン奏者。
叔父が奏でるアコーディオンに心を奪われ、6歳から叔父にアコーディオンの手ほどきを受ける。
8歳の時に、自身のアコーディオンを手に入れる。
10歳でアコーディオン・コンテストに出場し、ブラームスの「ハンガリー舞曲第5番」を演奏し、見事優勝する。
16歳から、本格的に演奏活動をスタートする。
1960年代は、軍の吹奏楽部に配属され、兵役義務をこなす。
1960年代後半からは、「アコーディオン冬の時代」に入り、ピアニストとして活動する。
1988年から始動した、「パリ・ミュゼット」のアルバム制作に参加し、再び脚光を浴びる。
1994年に初来日。
2006年から連続6年の来日公演を行う。
2011年12月に日本さよなら公演を行う。
2021年、オリジナル・ソロ・アルバムとしては、10年振りのアルバムをリリース。
なお、アルバムリリースは、2007年、日本に於ける初のオリジナル・ソロ・アルバム「フレンチ・カフェ・ミュージック・パリ・ミュゼット2〜セーヌ川左岸のロマンス〜」をギタリスト、ドミニック・クラヴィクのサウンド・プロデュースの元リリース。その後、2008年7月には「スウィング!ミュゼット」12月には「ジャズ・ミュゼット」をリリース。2009年9月には「パリ、街角のアコーディオン〜私の愛した名曲集〜」をリリース。2010年10月にはアルゼンチン出身のアコーディオン奏者ラウル・バルボザとのジョイント・アルバム「パリの出会い〜2大アコーディオニスト夢の共演〜」をリリース。2011年10月にはアルバム「私の心はアコーディオン」をリリース。2012年10月には、桑山哲也との共演アルバムをリリース。2015年にはバイオリン奏者のマティルド・フェブレールとの共演アルバムをリリース。