「沖縄ユーモアソング決定盤」
音楽監督:喜久山節子
歌・三線:喜久山節子、野原廣信、新城慎一、新垣 恵、石川陽子、仲宗根 創、山城 香、堀内加奈子、長嶺ルーシー
「コロナ節」アメリカ・オハイオから。
作詞者の一人、里子・コートランドさんの三線と、里子さんの四っ子のお孫さん達の歌唱です。
「このご時世だからこそ、皆さんに沖縄のおもしろい歌を届けて、元気になってもらいたいという気持ちで録音しました」──喜久山節子
沖縄民謡には、多岐に亘る歌があります。教訓歌、わらべ歌、踊り歌など様々です。
その中で、戦後、その時々の世相を背景に、沖縄の人々に愛され、民謡というよりは流行歌としてラジオから流れ、また民謡酒場でも長く愛され来た歌が、本CDに収録された「ユーモアソング」とも呼ぶべき、ユニークな沖縄民謡です。
「あーあ 男の人は脇骨がひとつ足りない」と歌われる「ソーキ骨不足」とは、女性にだらしない人に対して沖縄では、「ソーキ骨不足」と言って揶揄します。男というものは、火傷をして初めて分別を得る生き物だ、ソーキ骨=脇骨がひとつ足りない生き物だ、ということを、コーラスパートで女性陣が皮肉を込めて歌い上げます。その明るい曲調と歌詞には、思わずニャッとしてしまいます。
また、ククラキ節では、「好きな彼氏のためには、何から何まで捧げます。嫌いな男との付き合いは、取るだけ取ってバイバイさ」と歌われています。沖縄方言のククラキ=胸やけ、の言葉を織り込み、ユニークな歌詞に仕上げています。
今回のアルバムに収録された23曲は、いずれも、ちょっとクセがある、ユニークな人物を描写したり、またその時々の世相が背景になっています。それらがユーモラスに活写された歌詞には、思わず笑みが漏れると共に、沖縄ならではの生活や風習がそこから見えて来ます。
人生、いつも真ん中を歩けるとは限らない。時には、道を逸れてもいいじゃないか、のんびり行こうよと、という大らかさを感じる歌の数々。そして、それこそが沖縄ならではの「ユーモアソング」なのです。なお本作は、プロデューサーである野原廣信の、「最近ではあまり歌われなくなった、昔のおもしろい歌を掘り起こしたい。戦後の苦しい時代、沖縄の素晴らしい唄者たちがおもしろい歌を作り、その歌が、人々に笑顔を与えました。それらの歌は、きっと現代にも通じる筈です」との思いからスタートしました。
CD1には、ボーナストラックとして、アメリカのオハイオ沖縄友の会メンバーの作詞による「コロナ節」を収録しました。
また、CD2の「ソーシャルディスタンス小唄」は、この時節ならではのユニークな歌といえます。
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CD 1
ボーナストラック
CD 2
主要レコーディングメンバー・プロフィール
恩納村(おんなそん)出身。父が村芝居の地謡を務めており、幼少から歌三線を子守歌に育つ。那覇の割烹で働いていた19歳の頃、大城志津子の琉球民謡研究所に入門。大城が経営する民謡クラブ「ハンタ原(ばる)」に30年以上勤め、師の右腕として活躍する傍ら、妹弟子の指導にもあたってきた。現在は自身の研究所で後進を育成。現在、島唄心酔会会長。
1950年、南風原町生まれ。28歳から城間德太郎(のちの人間国宝)に師事し、琉球古典音楽を学ぶ。1999年沖縄タイムス芸術選賞グランプリ、2010年沖縄タイムス芸術選賞奨励賞ほか、伝統芸能選考会などで受賞歴多数。野村流古典音楽保存会伝承者、沖縄県指定無形文化財。2016年、『琉球古典音楽決定盤〜命ど宝どう〜』をリリース。
粟国島(あぐにじま)出身。就職のため那覇に移り住んだのち、20歳から大城志津子に師事して本格的に歌三線を学ぶ。現在は琉球民謡協会師範として自身の教室を持ち、後進の指導にあたっている。
1988年那覇市生まれ、沖縄市育ち。3歳頃から祖父の影響で民謡を歌い始め、12歳のとき照屋林賢(てるやりんけん)プロデュースで初アルバム『アッチャメー小(ぐわ)』をリリース。2003年より登川誠仁に師事。現在はソロライブや後進の育成に加え、民謡ユニット「チャンプ流ぅ芸能団」や別名義「R∞2(ルーツ)」でも活動中。
北海道江差生まれ、函館育ち。東京で働く中で沖縄民謡に出合い、その魅力に惹かれて沖縄に移住。2000年より大城美佐子に師事。国内外で積極的にライブを行っており、沖縄民謡+クラブ音楽ユニット「CHURASHIMA NAVIGATOR」にも参加。2020年秋に函館に拠点を移し、北の大地から沖縄の魅力を発信している。
豊見城市(とみぐすく)出身。県外生活や中国留学をきっかけに沖縄の文化的独自性を強く感じ、三線を始める。沖縄県立芸術大学および大学院で琉球古典音楽を学び、沖縄タイムス芸術選賞琉球古典音楽部門の三線・太鼓・胡弓でグランプリを獲得。「女性地謡の会しほら」の一員としても活動している。
大阪府大正区生まれ、沖縄育ち。2006年から港川繁と喜久山節子に師事し、民謡クラブのステージ等で研鑽を積む。2011年に琉球民謡協会主催の民謡コンクールで最高賞を受賞し、2015年に同協会で教師免許を取得。
沖縄生まれ。小学校4年生から大阪で過ごし、祖母の経営する沖縄料理店で民謡や三線に親しむ。23歳で沖縄民謡を本格的に学ぶため帰沖し、大城志津子に師事。2018年に初アルバム『三味(しゃみ)の喜び』をリリース。現在は県内外でライブを行うほか、民謡の指導者としても活動中。
ペルー出身の沖縄系移民三世。5歳頃から祖母の三線に乗せて民謡を歌うようになり、10歳からは自分でも三線を手に歌い始める。1993年、全日本カラオケ審査協会の大会にペルー代表として出場し優勝。翌年に来沖して本格的に歌三線を学ぶ。大城志津子の愛弟子であり、喜久山節子の指導も受けている。