與那覇有羽
「風の吹く島〜どぅなん、与那国のうた」
与那国語では、与那国を“どぅなん”といいます。
与那国の唄の成り立ちは、農耕に於ける祭事などで述べられた祝いの言葉や、祈願の言葉に辿り着きます。
種蒔きから収穫までに行われる年間行事を通して、与那国語による祝詞やタカビ(崇べ)言葉、ドゥングドゥ(読み言)などで、神との交流を試み、また神への祈りを捧げました。
これが与那国に於ける「うた」の始まりであろうと言われています。従って元々の唄はアカペラになります。その後、沖縄本島から八重山を通じて三線が入って来ると、本島や八重山諸島の民謡の影響を受けながらも、与那国語の歌詞やメロディーを持つ民謡が生まれました。また、メロディーは本島や八重山の民謡を踏襲しながらも、与那国独自の歌詞が付いた曲も生まれました。さらにアルバム収録曲の「六調」や「与那国ストトン節」など、歌詞の一部が与那国の世情に即して、書き換えられたものも生まれました。
与那国の唄の背景には、厳しい歴史背景(特に琉球王朝と薩摩からの税金の厳しい取り立て)や、そこから派生する経済的困窮と、そして長く過酷な政治的抑圧の中で、それに堪え忍びながらも、少しでも明るく、楽しく日々を暮らそうという思いがあります。また、台湾との距離も近く、古くからお互いの交流があり、本アルバム収録の「与那国ストトン節」の歌詞にはそれが反映されています。
さらに、本アルバムには与那国で生まれたわらべ唄も収録されていますが、与那国独自のわらべ唄は20曲を超えると言われています。
数多い唄の中でも、特にアカペラの唄は与那国独自のものであり、現在も日常的に歌われています。
沖縄本島、八重山の民謡とは一味違う、与那国で生まれた伝承歌、民謡、歌謡など多彩なうたを収録したのが本アルバムであり、まだまだ知られざるその魅力を伝える一枚です。
28.95㎢の面積の島から、これだけ多彩な唄が生まれて来たこと、そして現在もそれらの唄が歌われていることは、まさに特筆に値すべきことです。
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作詞・作曲:8曲目は曲は九州・奄美民謡、歌詞は一部与那国で改変されました。12曲目は作詞は与那国女子青年団&宮良泰平、曲は与那国民謡。17曲目は一部歌詞が与那国で改変されました。原曲の作詞と作曲は添田さつき。20曲目は詩:宮良保全、曲:沖縄民謡。あとの曲は全て与那国民謡となります。
1986年6月沖縄県与那国島に生まれる。幼い頃から祭りの笛の音や、祝いの三線を聞いて育つ。2001年、南風原高校へ進学の為に那覇に出る(沖縄県立南風原高校には、沖縄芸能の基礎的な歴史を学ぶ郷土文化コースがあり、琉球全島から三線や踊りを学びに集ってくる)。沖縄民謡に興味を持ち、多くの唄者の音源を聴き、その唄・三線を学ぶ。高校時代は、島唄案内人の小浜司氏が経営していた島唄カフェ「まるみかなー」にも通い、さらに多くの民謡と出会う。
その後、沖縄県立芸術大学に進学し、琉球古典音楽などの習得を目指すが、学術的体系に沿った習得より、自由に音楽を学び、歌い、演奏したいとの思いから、大学を飛び出す。2011年、与那国に戻る。
与那国に伝わる民謡、伝承歌を数多く習得し、持ち味のダイナミックでおおらかな歌唱で、与那国内外でライブを行う。また、島で豊富にとれるクバ(枇榔)を使い、民具を製作しながら、ワークショップも開催している。
与那国で祭りや行事などに唄・三線演奏者として参加しながら、与那国の音楽と伝承文化を全国に伝える、若きホープである。
唄・三線・囃子:與那覇 有羽
唄・囃子・島太鼓:與那覇 桂子
箏・唄・囃子=太田 いずみ、笛、囃子:山口和昭
なお、太田いずみの旧姓は與那覇で、與那覇有羽の妹になります。
録音:サードガレージスタジオ(沖縄市)
ミックス&マスタリング:スタジオアトリオ(東京)