登川誠仁&知名定男
「ライブ!〜ゆんたくと唄遊び〜」
情感溢れる島唄、会場を沸かせたゆんたく(話)を完全収録! 沖縄民謡界を代表する2人による唯一のライブ音源、伝説のライブが素晴らしい音質で今ここに!
今まで未発表だった“ゆんたくと唄遊び〜夢の共演!ふたりのビッグショー”と銘打たれた、2001年9月5日に東京で行われたコンサートを、完全収録したアルバムです。
2001年公開映画「ナビィの恋」に出演し、一躍全国に名を馳せた登川誠仁と、12歳で登川誠仁に弟子入りし、その後ネーネーズのプロデューサーとして、また沖縄民謡界の立役者として、現在も第一線で活躍を続けている知名定男、2人が共演した大変貴重な音源です。
登川誠仁のステージでは“沖縄ジミ・ヘンドリックス”のニックネームを体現した、カチャーシー・ナンバー「アッチャメー小」の早弾きや、7分50秒に渡り、22曲もの曲を歌い継いでいく「民謡節渡り」。元々の歌詞をさかさまに歌った「逆加那よー」。さらに「まっくろけ節」まで飛び出します。また、沖縄が生んだ最高のエンタテナーの面目躍如たるゆんたくには、抱腹絶倒です。
知名定男のステージでは「ナークニー」「白雲節」の見事な歌・三線は元より、登川誠仁を引き立て、盛り上げる好サポート振りも絶妙です。
二人の共演曲では「花風」の息の合った見事な歌唱が聴き所です。
アルバムのラスト「緑の沖縄」では、2001年5月にリリースされた登川誠仁のアルバム「スピリチュアル・ユニティ」をプロデュースした、ソウル・フラワー・ユニオンの中川敬が登場し、感動のフィナーレを締め括ります。
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CD 1 収録時間:75:34
CD 2 収録時間:50:46
2001年9月5日 東京・表参道CAY(スパイラルB1F)にて収録
録音:笹原与志一
ミックスダウン:伊豫部富治
マスタリング:田中三一
1932年兵庫県尼崎市に生まれ、本島石川市東恩納に育つ。少年時代から音楽〜芸能の才に長け、親に隠れながら歌や三線を独学した。16歳で当時の主要劇団の一つであった松劇団へ地謡の見習いとして加わり、その後珊瑚座などの人気劇団で修業に励んだ。1957年、小浜守栄、喜納昌永らと共に琉球民謡協会を設立する。同年、神童と謳われた12歳の少年、知名定男が登川に弟子入りする。1970年声楽譜付の楽譜=工工四である民謡端節舞踊曲工工四を発表する。1998年、琉球民謡協会名誉会長となる。
1999年、準主役として登場した映画「ナビィの恋」が沖縄映画史上ダントツの人気をさらった。2002年には映画「ホテルハイビスカス」に出演。2004年には弟子の知名定男と大阪ドームで共演する。2008年、オリジナルソロアルバムとして約6年振りの作品「酔虎自在」をリリース。2010年にはアルバム「歌ぬ泉」を、2011年には2枚組ライブアルバム「登川誠仁ライブ!〜Just One Night at CAY 2010.8.29〜」をリリース。2012年には大城美佐子との共演作「デュエット」をリリース。2013年3月に死去。
主な受賞歴:琉球民謡協会第一回功労賞。沖縄県指定無形文化財に認定。
1945年大阪生まれ。父は琉球民謡界に多大な功績を残した故・知名定繁。
小さい頃から音楽的才能を発揮し、1957年、米軍統治下にあった沖縄へ密航、登川誠仁に師事することになる。同年「スーキカンナー」で華々しくデビュー。72年沖縄音楽史上空前の大ヒット曲「うんじゅが情どぅ頼まりる」を作詞/作曲。78年にはアルバム「赤花」で本土デビュー。収録曲「バイバイ沖縄」は島唄にレゲエをミックスさせた曲として注目される。
その後91年からネーネーズのプロデュースを始め、同年ソロアルバム「島うた」、92年には「島や唄遊び」、96年には二代目襲名披露公演のライブ盤「遊び唄・情け節」を発表。またブラジル在住の沖縄系二、三世でつくる民謡グループ、トントンミー、男性4名からなる琉球民謡グループ、ザ・フェーレー、鳩間島出身の鳩間可奈子、吉田康子、新生ネーネーズなど、多数のアーティストのプロデュースも手がけている。
2004年には師匠の登川誠仁とアルバムをリリース。同年9月大阪ドームの琉球フェスティバルに2人で出演。現在琉球音楽協会会長を務め、那覇の国際通りでライブハウス島唄を運営している。