レネ・パウロ

「そよ風と私〜ラヴ・サウンズ・フロム・ハワイ〜」

Rene Paulo“The breeze and I ~ Love sounds from Hawaii ~”

レネ・パウロ「そよ風と私〜ラヴ・サウンズ・フロム・ハワイ〜」
ハワイから届いた至福の調べ──

ハワイを代表するピアニスト、レネ・パウロが奏でるイージー・リスニングの名曲集!


■アルバム内容

「今作に収録された曲は『ダニー・ボーイ』『ビギン・ザ・ビギン』『シバの女王』など、誰もが知っている、世界中でよく知られているスタンダード・ソングばかりで、どの曲も完成されている、メロディーの美しい曲ばかりだ。万人に知られている旋律なんだ。だからそれを壊す、いじるのではなく、原曲のメロディーに忠実であろうと考えた。美しい旋律を素直に弾こうと思ったんだ。」

今年88歳(1930年6月28日生まれ)になるレネ・パウロの最新作はイージー・リスニングの名曲集です。音楽ジャーナリストの宮本啓氏から、是非レネ・パウロに演奏してほしいとの思いから選曲された26曲より、23曲に絞って録音されました。そして最終的には18曲が選ばれました。

収録曲はいずれも長きに渡り愛されて来たイージーリスニングの名曲ばかりです。なおレコーディングは2018年4月14、15、16、17日にホノルルにあるランデヴー・レコーディングで行われました。本作のアレンジとピアノの調べは、これぞレネ・パウロならではといえる甘くロマンティックなもので、まさにハワイのそよ風のように心地好い至福のひとときを運んで来ます。

「88歳、もうすっかり歳をとったねぇ。でも今も毎日ピアノは弾いている。手や指が動く限りピアノは毎日弾くだろうね。」と録音を終えた際にレネ・パウロは語っています。


■収録曲

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1. そよ風と私 The Breeze and I
1928年にキューバの大作曲家エルネスト・レクォオーナが作曲したスペイン組曲「アンダルシア」が元になっています。
2. 港の灯(ハーバーライト) Harbor Lights
1937年、ジミー・ケネディ(作詞)とヒュー・ウィリアムズ(作曲)が手掛けた作品です。
3. 浪路はるかに Sail Along, Silv’ry Moon
1937年、ハリー・トビアス(作詞)とパーシー・ウェンリッチ(作曲)が手掛けた作品です。
4. ダニー・ボーイ Danny Boy
原曲は19世紀半ば頃からアイルランドで歌い継がれて来ました。
5. ハーレム・ノクターン Harlem Nocturne
1940年にトロンボーン奏者のアール・ヘイゲンが作曲しました。
6. 白い渚のブルース Stranger on the Shore
1961年にイギリスのクラリネット奏者アッカー・ビルクが作曲しました。
7. 煙が目にしみる Smoke Gets in Your Eyes
1933年初演のミュージカル「ロバータ」で演奏されたナンバーです。
8. グリーンスリーヴス Greensleeves
16世紀頃からイングランド地方で歌い継がれてきたトラディショナル曲です。
9. 引き潮 Ebb Tide
1953年、ハープ奏者のロバート・マックスウェルが作曲しました。
10. グリーン・アイズ Green Eyes
1929年、キューバのピアニストであるニロ・メネンデスが作曲しました。
11. シャルメーヌ Charmaine
1913年、ハンガリーのリュー・ポラック(作詞)とエルノ・ラペー(作曲)が手掛けました。
12. 小さな花 Petite Fleur
1952年、ソプラノ・サックス奏者のシドニー・ベシェが作曲しました。
13. カナダの夕陽 Canadian Sunset
1956年、ピアニストのエディ・ヘイウッドが作曲しました。
14. ポインシアーナ Poinciana
1936年、ナット・シモンが作曲しました。
15. シバの女王 La Reine de Saba
1967年に、フランス人のシンガー・ソングライターのミッシェル・ローランが作曲しました。
16. マリア・エレーナ Maria Elena
1932年、メキシコ人のロレンソ・バルセラータが作曲しました。
17. ビギン・ザ・ビギン Begin the Beguine
コール・ポーターが作曲した作品で、1935年のミュージカル「ジュビリー」で演奏されました。
18. エストレリータ Estrellita
1914年、メキシコ人のマヌエル・ポンセが作曲しました。


■アーティスト プロフィール

1930年ハワイ、オアフ島ワヒアワ生れ。母親が弾くピアノに興味を持ち、18歳になると、ハワイ出身の音楽家として初めてニューヨークのジュリアード音楽院へ進学しました。

1950年代は、アメリカ軍属のピアニストとして1年半程を日本で過し、六本木や赤坂、銀座で「ジャズ・ピアニストの帝王」として日本の社交界のトップクラスの人々の前で演奏しました。尚、日本では中村八大氏と親交を結んだり、渡辺晋氏率いる「シックス・ジョーズ」のピアニストとして活躍しました。渡辺氏からは日本に止まって活動してはどうか、と提案されましたが、ハワイに戻り、1960年代からいよいよワイキキにて本格的な演奏活動をスタートします。

当時のワイキキは、“ラウンジ・ミュージックの楽園”と呼ばれる程、クラブやバー、キャバレー(総称してラウンジ)が多数あり、あらゆる場所でピアニストが求められ、アメリカから“夢の楽園”ハワイに大挙押し寄せる観光客の前で、ロマンチックなハワイアンのナンバーを奏でるレネは引っ張りだこでした。

1961年、アメリカ本土のリバティレコードから、ファースト・アルバムをリリースし、その後1970年までに18枚から19枚のアルバムをリリースしました。2002年には32年振りのアルバムを2枚同時にリリース。1枚はハワイアン名曲集、もう1枚はハワイの日系の人々に愛されて来た日本の曲(「ここに幸あり」「見上げてごらん夜の星を」などを収録)ばかりを集めたアルバムです。2003年にはハパ、ケオラ・ビーマなどハワイを代表するアーティストの名曲をカヴァーした「ワイマナロ・ムーン」をリリース。2012年にはマカナ、シリル・パヒヌイなどハワイを代表する15人のボーカリストと共演したアルバム「デュエット」をリリース。2015年3月には、「スターダスト〜スウィート・メロディー・フォー・ハワイ」をリリース。2016年4月には「ザ・ウェイ・ユー・ルック・トゥナイト〜スウィート・バラード・フォー・ハワイ〜」をリリース。2017年7月には映画音楽集「ア・サマー・プレイス〜ロマンチック・シネマ・ミュージック・フロム・ハワイ〜」をリリース。