サン・ジェルマン・デ・プレのミューズ──ジュリエット・グレコ
“今、歌いたい曲” をテーマに、グレコ自身のアイディアが形になった、素晴らしいオールタイム・ベスト!
- 究極のベストアルバム+新録=全38曲収録
- 日本盤のみボーナストラック
- オリジナル・ブックレット(8ページ)+92ページのブックレット付き!
- アルバム・曲解説、歌詞・対訳、日本のファンに向けてのグレコ直筆メッセージ、オリジナル・ライナーノートの対訳付き(解説・対訳:中村敬子)
■本作について
ステージからの引退を表明したグレコが全てのリスナーに「今まで応援してくれてありがとう! メルシー!」と感謝を込めて贈る、素晴らしいベスト・アルバム。
1951年の初レコーディング以来数多くのアルバムをリリースし、常にシャンソン界のフロントラインに立ち続けたジュリエット・グレコ。いい時もあれば、フランスのコンサートで客席が半分も埋まらない時もありました。「もし私がコンサートでいい加減に歌ったら、今日のお客さんは二度と私を聴きに来てはくれないだろう」と、どのような状況でも常にベストを尽くしたグレコ。
そして2015年4月、その長いキャリアに終止符を打つことを表明しました。コンサートからの引退を発表したのです。「舞台の上で疲れたと感じたことは一度もない。まだまだ歌い続けられるけど、美しく去ることも知らなくてはならない」と自身の決心を明らかにしました。
その後スタートした最後のコンサートツアー「メルシー!」はフランスのブールジュを皮切りにイスラエル、ドイツ、カナダ、イタリア、ベルギー、オランダなど特に思い入れの深い地域を回り、2015年12月と2016年2月にはパリで3日間のコンサートを行います。
2016年6月には23回目の、そして最後の来日公演も行われます。
その「メルシー!」と題したツアーに合わせてリリースされる作品が本アルバムです。「私の歌いたい歌を伝えたい」と本人が選曲のアイディアを出し、1951年レコーディングの「私は私」から、2013年リリースの最新オリジナルアルバム「ジャック・ブレルを歌う」収録曲まで、実に62年間のキャリアの中からセレクトしました。本アルバムのラストは全てのリスナーの方々に贈る新曲「メルシー」で締めくくられます。
“ありがとう 詩に 風に 命に
ありがとう この割れるような拍手全部に アンコール”
(歌詞対訳から一部抜粋/訳:中村敬子)
全てを包み込む優しさを讃えた素晴らしい曲であり、現在のグレコの思い全てが詰まった一曲です。
■収録曲
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DISC-1
- 1. Je suis comme je suis 私は私
- 大ヒット曲「枯葉」の作曲者ジョゼフ・コスマ作曲。1951年録音作です。
- 2. Je hais les dimanches 私は日曜日が嫌い
- シャルル・アズナヴール作曲の1951年録音作です。
- 3. Sous le ciel de Paris パリの空の下
- シャンソンの大スタンダード曲。この曲も1951年の録音です。
- 4. Coin de rue 街角
- シャルル・トレネ作。1954年の録音です。
- 5. Si tu t'imagines そのつもりでも
- 1曲目と同じくジョゼフ・コスマ作曲。1959年の録音です。
- 6. Chanson pour l'Auvergnat
- オーヴェルニュ人に捧げる歌ジョルジュ・ブラッサンス作。1959年の録音です。
- 7. Les feuilles mortes 枯葉
- 世界中で大ヒットしたシャンソンの大スタンダード曲。1964年の録音です。
- 8. Il n'y a plus d'après あとには何もない
- サン・ジェルマン・デ・プレに対するグレコからのオマージュが感じられる曲。1960年の録音です。
- 9. Paname パナム
- レオ・フェレ作。1960年の録音です。
- 10. La cuisine 料理
- 「パリの空の下」の作詞者ジャン・ドレジャック作詞。1960年の録音です。
- 11. Jolie môme ジョリ・モーム
- レオ・フェレ作。1961年の録音です。
- 12. C'était bien (Le p'tit bal perdu) 小さな踊り場
- 今は無くなってしまった思い出の小さな踊り場について。1961年の録音です。
- 13. Accordéon アコーデオン
- セルジュ・ゲンズブール作の名曲。1962年の録音です。
- 14. Paris Canaille パリ・カナイユ
- レオ・フェレ作のこの曲もシャンソンのスタンダード曲。1968年の録音です。
- 15. La javanaise ラ・ジャヴァネーズ
- ゲンズブールがグレコに捧げた名曲。1986年の録音です。
- 16. Parlez-moi d'amour 聞かせてよ 愛の言葉を
- 日本でもお馴染みのシャンソンの大ヒット曲。1964年の録音です。
- 17. Un petit poisson un petit oiseau 小さな魚と小さな鳥
- コンサートの定番曲として歌われている曲。1966年の録音です。
- 18. Déshabillez-moi 脱がせてちょうだい
- この曲もコンサートの定番曲。少しドキドキする歌詞。1967年の録音です。
日本盤のみのボーナストラック
- 19. Mon Fils Chante 息子よ 歌いなさい
- 日本のファンには人気の高い一曲。ギリシャが軍事政権だった1970年代に書かれた曲。1972年の録音です。
- 20. Les Années D'Autrefois 失われし年月
- この曲も日本のファンには人気がある曲です。1992年のライブ録音です。
DISC-2
- 1. J'Arrive 孤独への道
- 2013年リリースのアルバム「ジャック・ブレルを歌う Gréco Chante Brel」から、グレコにとって最愛の友だったジャック・ブレル作詞の1968年の作品です。
- 2. La chanson des vieux amants 懐かしき恋人の歌
- この曲もジャック・ブレルの作詞。グレコの夫でもあるジェラール・ジュアネストとジャック・ブレルの作曲。1971年の録音です。
- 3. Le temps des cerises 桜んぼの実る頃
- シャンソンのスタンダード曲であり、日本でもお馴染みの曲。1994年の録音です。
- 4. Les amants d'un jour いつかの二人
- エディット・ピアフの歌唱でも知られている曲。2006年の録音です。
- 5. Mathilde マチルド
- この曲もジャック・ブレルとジェラール・ジュアネストの作品。2006年の録音です。
- 6. Avec le temps 時の流れに
- レオ・フェレ作の名曲。2006年の録音です。
- 7. La chanson de Prévert プレヴェールの歌
- セルジュ・ゲンズブールの作品。2006年の録音です。
- 8. Le déserteur 脱走兵
- ボリス・ヴィアンの作詩。2009年の録音です。
- 9. Le pont Marie マリー橋
- 2011年リリースのパリにある橋をテーマにしたアルバム「Ca Se Traverse Et C'est Beau」からの曲です。
- 10. Je suis un soir d'été 私は夏の夜
- ジャック・ブレル作。2013年リリースのアルバム「ジャック・ブレルを歌う」から。
- 11. Le Prochain amour この次の恋
- ジャック・ブレル作詞、ジェラール・ジュアネスト作曲。恋をせずにはいられない人間の性(さが)を歌い込んでいます。「ジャック・ブレルを歌う」から。
- 12. Amsterdam アムステルダム
- アムステルダムの港に集う船乗りたちの事を歌った、ジャック・ブレル作の曲。「ジャック・ブレルを歌う」から。
- 13. Bruxelles ブリュッセル
- コンサートの定番曲。この曲もジャック・ブレルとジェラール・ジュアネストの作品。「ジャック・ブレルを歌う」から。
- 14. Tango funèbre 葬送のタンゴ
- 自分の死に対する回りの人々の振るまいを歌い込んでいます。この曲もジャック・ブレルとジェラール・ジュアネストの作品。「ジャック・ブレルを歌う」から。
- 15. Ces gens-là あの人たち
- ジャック・ブレル作。人間の本性を焙り出すかのような歌詞。「ジャック・ブレルを歌う」から。
- 16. Les vieux 老夫婦
- 歌詞がしみじみと印象に残る曲。「ジャック・ブレルを歌う」から。
- 17. Ne me quitte pas 行かないで
- ジャック・ブレル作の世界的大ヒット曲。この曲も「ジャック・ブレルを歌う」から。
- 18. Merci メルシー
- 新曲。2015年10月に録音された素晴らしい曲。
■プロフィール
1927年南仏ラングドック地方モンペリエ生まれ。父親は家を出てしまい、母親と姉の3人で暮らす。第二次世界大戦中に母親がレジスタンス運動に参加したため、親子3人はゲシュタポに捕らえられ、収容所に送られる。グレコは歳が若いということで1人だけ釈放されるが、母と姉は1945年まで帰って来なかった。グレコは釈放後、15歳で無一物のままでパリの町に放り出される。
戦後、サン・ジェルマン・デ・プレ界隈で花開いたジャズと実存主義のムーブメントの中、サルトルやボリス・ヴィアンと交流を持つ。1944年から演劇の勉強を始めており、1945年、コメディー・フランセーズで初舞台を踏む。1949年には写真雑誌「ライフ」がグレコの写真を4ページに渡って掲載。そしてこの年マイルス・デイヴィスとの恋に落ちる。1950年本格的に歌手としてデビュー。サルトル、ボーヴォワール、カミュなどパリの知識人がステージを聴きに来る。1951年、初録音。3ヶ月のブラジル公演を行い、1953年から1958年は女優として「悲しみよこんにちは」「陽はまた昇る」などに出演。1959年セルジュ・ゲンズブールから曲を贈られ、歌に戻る。(1963年には名曲「ラ・ジャヴァネーズ」をゲンズブールがグレコの為に書く)。1961年11月初来日。三島由紀夫夫妻など多くの著名人が駆けつける。
1966年、ジャック・ブレルがステージから引退し、彼のピアニストだったジェラール・ジュアネストがグレコのピアニストとなり、1988年には2人は結婚することとなる。その後も数多くのアルバムをリリースし、1989年には9回目の来日公演を行う。1991年、1994年パリ・オランピア公演、1998年には15回目の来日公演。2002年ベルリンのフィルハーモニー・オーケストラとのコンサート、2004年10月の来日公演では同年2月のオランピア公演を再現。2014年には22回目の来日公演を果たし、大成功を収めた。
2020年9月23日、93歳にして生涯を閉じた。