V.A.

「キャンパスレコード45周年記念アルバム〜決定盤!沖縄の歌〜」

「キャンパスレコード45周年記念アルバム〜決定盤!沖縄の歌〜」
輝ける沖縄音楽の歴史がここに!

歴史に残る数々の名盤をリリースし、現在も精力的にアルバムを制作し続けるキャンパスレコードが45周年を迎えます。
この節目にキャンパスレコード主宰のビセカツ(備瀬善勝)が選曲した記念盤をリリースします。
キャンパスレコード45年の歴史は、沖縄音楽が歩んできた歴史でもあり、ここに収録された19曲は後世に伝えたい名曲ばかりです。

■キャンパスレコード主宰ビセカツとキャンパスレコードについて

ビセカツは那覇市西新町に生まれました。学校卒業後は製造業のサラリーマンで営業と企画を担当していましたが、元々音楽にも興味があり、普久原恒勇氏の事務所に出入りして、恒勇氏から作詞の手ほどきを受けました。またRBC(琉球放送)レーベルやマルフクレコードの制作の手伝いなども行っていました。恒勇氏の事務所には同時期に知名定男氏も出入りしていました。ビセカツの詞には多数の赤字による指導が入り、恒勇氏の事を“赤点のフクハラ”と呼んでいたそうです。これが後年、ネーネーズのヒット曲「あめりか通り」に繋がるなど、大きな実を結ぶことになります。

時代は1960年代後半。この頃から週末になるとフォーク・コンサートのラッシュとなり、沖縄の若者の関心が高石友也、岡林信康、高田渡などのフォーク・ソングに集まっていました(1971年には沖縄フォーク村が結成されました)。1969年、竹中労氏が初めて沖縄を訪れ、貨客船に膨大な数のアングラ・フォーク・ソングのレコードを持ってきました(日本レコード協会に加盟していないレコード会社のレコードを“アングラ”と言いました)。ビセカツは竹中氏が持ってきたレコードに興味を持ち、妻に小さなレコード店を開かせました。

こうして、1970年5月に生まれたのがキャンパスレコードです。丸福レコードの沖縄民謡と、アングラ・フォークしかない、メジャーレコード会社のレコードは一枚もないレコード店でした。10坪足らずの広さで、それまで一度もレコードをかけたことがなかった妻に店番を任せてのスタートでした。沖縄フォーク村の村長、佐渡山豊が琉球大学に通っており、学校の帰りに毎日のように立ち寄ってくれたため、沖縄のフォーク仲間からは知られるお店となり、当時アングラのエレックレコードからアルバムをリリースしていた吉田拓郎も扱いました。その後徐々にメジャーのレコードも扱うようになり、“普通のレコード店”となったのです。


1973年には店が手狭になり、現在の場所(沖縄市山里交差点)へ移転しました。これを機にビセカツもサラリーマンを辞め、本格的にレコード店をやることになりました。

1975年からは音源制作に着手し始め、沖縄フォーク界のシンガーが集まったLP「KOZA ‘75」を自社製品の第一号としてリリースします。その後、金城実の力を借りて1980年にはLP「連続カチャーシー」や「時代」をリリース。さらに「坪山豊20曲」などをリリースしました。

1995年からは制作点数が一気に増え、現在までにリリースタイトルは150枚以上。嘉手苅林昌、登川誠仁、知名定繁といった大御所から、松田弘一や田場盛信といったベテラン、松田一利や島袋辰也など若手・中堅アーティストまで、幅広いリリースを続けています。

また、作詞家としての活躍も目覚ましく、さらに沖縄民謡の原稿執筆も数多く手掛けています。沖縄レコード商業組合の会長も務めました。現在、沖縄市の“沖縄音楽資料館”の館長を務めています。


■収録曲/演奏者(リリース年度)Total Time:75:42

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1. ちんぬくじゅうしぃ/フォーシスターズ(1968年) 
作詞: 朝比呂志  作曲:三田信一
ちんぬくじゅうしぃとは里芋のおかゆの事。沖縄のわらべ唄です。
2. 下千鳥/嘉手苅林昌(1975年)
作詞・作曲:沖縄民謡
沖縄民謡の代表曲。恋人を思う切ない歌詞です。
3. 十九の春/黒川修司(1975年)
作詞・作曲:不詳
1972年の日本復帰後に大ヒットした沖縄民謡の定番曲です。なおこの曲のタイトルの命名者はビセカツです(1972年)。
4. ワイド節/坪山豊(1980年)
作詞:中村民郎 作曲:坪山豊
奄美民謡を代表する曲です。
5. いーぴん小/でいご娘(1980年)
作詞:上原直彦 作曲:三田信一
親指、人差し指などそれぞれの指をモチーフにした物語が歌い込まれています。いーぴん小とは小指の事です。
6. 白黒節/金城実(1981年)
作詩:仲本亀一 作曲:仲村渠正吉
戦世の中、平和への思いが歌い込まれています。太平洋戦争時に歌われました。
7. 別れの煙/知名定繁(1985年)
作詩・作曲:知名定繁
出稼ぎに行く我が子を親が見送る歌です。
8. 北谷舞方/松田弘一(1997年)
作詩・作曲:沖縄民謡
遊び唄の代表曲です。北谷はこの歌が歌われた毛遊びの盛んだった所です。
9. よろしくございます/仲田正江 セリフ:仲田幸子(1998年)
作詩:ビセカツ 作曲:前川守賢
仲田幸子率いる琉球芝居の“でいご座”。芝居に生きる心意気を歌い込んでいます。
10. 島尻真壁ぬ首里ぬ主/徳原清文(2000年)
作詩:真境名由孝 作曲:沖縄民謡
この曲も遊び唄の1曲です。首里の旦那の遊郭通いが歌い込まれています。
11. 芝居物語/田場盛信(2003年)
作詞:大城栄順 作曲:普久原恒勇
6つの有名な琉球芝居の各名場面が次々に歌われます。
12. 北谷真牛/湧川明(2005年)
作詞・作曲:湧川明
伝説の女流歌人(うたびと)、北谷真牛の事が歌われています。
13. 平和の願い/玉城一美(2008年)
作詞:平敷ナミ 作曲:普久原恒勇
平和を願う曲ですが、4番の歌詞は“願いはひとつ日本に還ること もうすぐ日本へ復帰する日は近い”と歌われて います。日本に復帰して基地のない平和な島になったのでしょうか?
14. トゥヌギ!トゥヌガ!/島袋辰也(2008年)
作詩:上原直彦 作曲:松田一利
この曲も遊び唄です。カチャーシーの時に演奏される曲でもあります。
15. 歌や肝から/當間清子(2009年)
作詞:ビセカツ 作曲:松田一利
“歌の美しさで心が分かる 心の美しさで人が分かる”と歌われています。そして“歌は心から歌う物です”と 歌われています。
16. 述懐節/嘉陽正(2009年)
作詞・作曲:沖縄古典音楽
琉球古典曲。恋人との別離を歌い込んでいます。
17. 宮國ぬクイチャー/宮國米男(2012年)
作詞・作曲:宮古民謡
宮古島の踊り歌です。
18. 東方節/松田一利(2013年)
作詞・作曲:大島保克
“東方から顔出す太陽は島の暁の知らせ さあ起きましょう 目覚めのお茶だ”と歌われています。石垣島の白保に 育った大島保克作の曲。
19. 南洋小唄/内里美香(2014年)
作詞・作曲:比嘉良順
遠く南洋に移民した人々の心情が歌われています。

※1曲目はキャンパスレコード設立前にビセカツ氏が原盤制作を行い、RBCレコードからリリースされたものです。
※4、5曲目は初CD化。全ての音源は2015年度最新マスタリング音源を使用しています。



■収録アーティスト プロフィール

(1)フォーシスターズ:
ネーネーズ結成のアイディアにも繋がった、女性4人組のグループ。ヒット曲多数。
(2)嘉手苅林昌:
“風狂の歌人”と言われた、沖縄民謡界を代表する1人。その歌と三線の味わいは絶品。
(3)黒川修司:
本土出身のフォークシンガーであり、沖縄に移住してから沖縄民謡のカヴァーを始め、味わい深いオリジナル曲を書き下ろした。
(4)坪山豊:
奄美民謡界を代表する唄者。ワイド節の作曲者。
(5)でいご娘:
同じく女性4人組のグループ。「南国育ち」が大ヒット。
(6)金城実:
連続カチャーシーの録音でも知られるほか、名盤「時代」をリリースしたベテランの唄者。
(7)知名定繁:
知名定男の父親であり、沖縄独特の琴「琉琴」の発明者。
(8)松田弘一:
遊び唄を歌わせればピカイチの、ユーモア溢れる唄者。三線の早弾きも素晴らしい。
(9)仲田正江:
沖縄芝居の実力者であり、仲田幸子から受け継いだ歌と三線が素晴らしい。
(10)徳原清文:
登川誠仁の弟子でもあり、その渋い歌と三線が大変魅力的。男性4人組のグループ「フェーレー」のメンバー。
(11)田場盛信:
登川誠仁の弟子にして三板の名手。甘い歌声で多くの女性の心を掴む。
(12)湧川明:
力強い三線の演奏が素晴らしい。「北谷真牛」のヒット曲を持つ。
(13)玉城一美:
坂本龍一のCD、コンサートにも参加した「オキナワチャンズ」の1人。透明感溢れる歌声が素晴らしい。
(14)島袋辰也:
沖縄民謡界のニューホープ。2008年にソロとしてデビューした沖縄市泡瀬生まれの注目新人。現在知名定男氏に師事。
(15)當間清子:
民謡番組のパーソナリティー、三線教室主宰、ボランティアで歌・三線の演奏歴30年以上。いつも元気な明るい歌声が魅力的。
(16)嘉陽正:
琉球古典音楽の唄者。先人の歌心、遊び心を今に継承する味わい深い歌と三線。沖縄県指定無形文化財保持者。
(17)宮國米男:
宮古島を代表する唄者。宮古民謡のスタンダード曲を心を込めて歌うほか、新しい歌も積極的に創作。
(18)松田一利:
松田弘一の弟子にして、情け歌が絶品。オリジナル曲の創作やアルバムプロデュースを手掛ける。
(19)内里美香:
南大東島生まれ。艶のある情感豊かな歌声が素晴らしい。今後益々期待出来る唄者。