フランスを代表する女性シンガー・エレーヌ・セガラと、元祖「オー・シャンゼリゼ」ことフランスの国民的シンガー・ジョー・ダッサンの夢の共演!!
- 日本盤のみボーナストラック収録!(ジョー・ダッサン歌唱の「オー・シャンゼリゼ」オリジナル・ヴァージョン)
- 2013年度録音作品
- 歌詞・対訳・解説付き
世界中でアルバムトータル5,000万枚のセールスを誇るジョー・ダッサンの没後35年、そして「オー・シャンゼリゼ」リリースから46年となる2015年を前に、まさに記念碑的アルバムのリリースです!
■本作のポイント
- 大ヒットミュージカル「ノートルダム・ド・パリ」にジプシー娘のエスメラルダ役で出演し、世界的認知度を獲得したエレーヌ・セガラ。
- エレーヌのアルバムはフランス国内に於いて、ゴールド、プラチナ、ダイヤモンドなど数々の受賞に輝く大ヒットを記録しています。
- アンドレア・ボチェッリ、ラウル・パウジー二など数多くのシンガーとデュエットしているエレーヌ。さらにイル・ディーヴォとのデュエット(2014年12月リリース、イル・ディーヴォのアルバム「ミュージカル・アフェア(フレンチ・ヴァージョン)」に収録)をレコーディングしました。
- そしてエレーヌが最もデュエットしたかったシンガーがジョー・ダッサンです。
- 世界中でアルバムトータルなんと5,000万枚のセールスを誇るジョー・ダッサン(1980年没)。日本ではダニエル・ヴィタルの歌唱で知られるフレンチ・ポップスの名曲「オー・シャンゼリゼ」。イギリスのロックバンドが歌っていた“Waterloo Road”という曲にフランス語の歌詞を付け、最初に録音して大ヒットさせたのがジョー・ダッサンです。
- エレーヌが歌手の道を目指そうとした6歳の頃、TVで見たジョー・ダッサンに深く感動しました。そして彼女はジョー・ダッサンに手紙を書きました。「あなたのようなシンガーになりたい」と。さらにエレーヌが17歳の時、ジョーに詞を提供していた作詞家のクロード・ルメールに出会います。その出会いが切っ掛けとなり、本格的に歌の道に進むべく、エレーヌはパリに出て行く決心をします。
- 数々の困難にも直面(1999年には声帯の手術をし、一時活動を休止するなど)しながらも、2000年以降ヒット作を連発します。そしていつも思っていたのが、叶わぬ夢とは知りながらもジョー・ダッサンとのデュエットでした。憧れの存在であり、目標でもあるジョー。しかし、ジョーは遠い星になってしまった。
- その思いを知ったジュリアン・ダッサン(ジョー・ダッサンの息子)とプロデューサーのティエリー・サイードがエレーヌに提案しました。「デュエットをやってみましょう」と。
- それは生前に残されたジョー・ダッサンの録音テープからボーカルパートのみを使い、エレーヌとデュエットすることでした。エレーヌは自らの歌声をジョーの声に合わせるため半年以上の時間を掛け、全力投球で録音に望みました。
- こうして完成したのが本作です。(ちなみに本作がエレーヌにとっても、初の日本盤としてのアルバムリリースになります。)エレーヌは「全てのレコーディングが終わった時、私はジョーが他界した年齢(42歳)になっていました。36年の歳月を経て、私の6歳の頃に書いた手紙の思いが、このアルバムの制作に繋がりました。このプロジェクトは愛と活気と希望に溢れ、ジョー・ダッサンが永遠に留まり続けるであろう理想の姿を形にする事が出来ました。」と述べています。
なお、本作に収められた演奏は、全て今回新しく録音されました。収録曲は全てジョー・ダッサンの代表曲であり、大ヒット曲ばかりです。
パリ直送、エレーヌ・セガラが語るアルバムについてのコメント
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■収録曲
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- 1. Et si tu n'existais pas もし きみがいなかったとしたら
- (作詞:V. Pallavicini 作曲:T. Cutugno / P. Losito)
“あなたがいなかったとしてたら ねえ なぜ私が存在するのでしょうか”の歌い出しから始まるラヴ・ソングです。
- 2. Salut les amoureux やあ、恋人たち
- (作詞・作曲:A. Guthrie)
シングルで70万枚以上のセールスを記録しました。恋人達の別れに際しての心象風景が歌い込まれています。
- 3. Les Champs-Élysées オー・シャンゼリゼ
- (作詞・作曲:M. Deighan / M. Wilsh)
“お天気がよくても雨の日でも 昼でも夜でも シャンゼリゼ大通りには あなたの欲しいものが何でもある”と歌われています。
- 4. Salut サリュ
- (作詞:V. Pallavicini 作曲:T. Cutugno / P. Losito)
“サリュ ただいま戻ってきたよ 僕は時間が長すぎるように思えるんだ うちから遠く離れて きみのことを想っていた”と歌われています。
- 5. À toi きみに
- (作詞:C. Lemesle / P. Delanoe 作曲:J. Baudlot / Joe Dassin)
恋人に捧げるラヴ・ソングです。“生まれてくる子供に その子は僕らに似てるはずだし きみであり僕なんだ”と歌われています。
- 6. Ça va pas changer le monde それは世界を変えはしない
- (作詞:C. Lemesle / P. Delanoe / R. Gramitto / V. Pallavicini 作曲:Joe Dassin / P. Massara)
“世界はいままで通り 変わったのはきみだけさ 私はちっとも変わってないわ”と歌われています。
- 7. Si tu t'appelles Mélancolie きみの名前がメランコリーだったら
- (作詞・作曲:P. Dibbens / M. Shepstone)
“きみの名前がメランコリーなら 一緒にそれを忘れるには ぼくらはぴったりだ”と歌われています。
- 8. Dans les yeux d'Émilie エミリーの瞳のなかに
- (作詞:C. Lemesle / P. Delanoe 作曲:Y. Ouazana / V. Valley)
“その頃 僕には昼も夜も太陽があった エミリーの瞳のなかに 僕の人生は彼女の笑顔で活気づいていた”と歌われています。
- 9. Happy Birthday ハッピー・バースデー
- (作詞:V. Pallavicini / M. Vasseur 作曲:Joe Dassin / G. Guarnieri)
“去年は きみと僕とで二人だった 今年は僕のレセプションにきみはいない。 僕はパートナーなしで踊る バレエはいつまでも続く”と歌われています。
- 10. L'été indien インディアン・サマー
- (作詞:V. Pallavicini / S. Ward 作曲:T.Cutugno / P. Losito)
大ヒット曲です。北アメリカのインディアン・サマー(小春日和)の風景を、恋人達の心象風景に織り込んで歌っています。
- 11. Il était une fois nous deux あの頃のふたりは
- (作詞:V. Pallavicini 作曲:T. Cutugno)
“思い出しておくれ 僕たちは恋人たちの道をたどっていた それは昔々の僕たち二人だった”――過ぎ去りし2人の日々を歌い込んでいます。
- 12. Ma musique (Sailin') 僕の音楽
- (作詞・作曲:Gavin Sutherland Gavin Sutherland)
ロッド・スチュワートでお馴染みの「セイリング」のメロディーに乗せて歌われる、大変印象的な曲です。
- 13. Le jardin du Luxembourg リュクサンブール公園
- (作詞・作曲:V. Pallavicini / T. Cutugno)
パリ市内にあるリュクサンブール公園。“恋もなく あと一日 僕の人生のもう一日 リュクサンブール公園は年月を重ねた”と歌われています。
- ボーナストラック
- 14. Les Champs-Élysées オー・シャンゼリゼ
- (作詞・作曲:M. Deighan / M. Wilsh)
1969年5月、世に初めて出たジョー・ダッサンによる「オー・シャンゼリゼ」です。
ジョー・ダッサン プロフィール
1938年11月5日ニューヨーク生まれ。父親は映画監督で「日曜日はダメよ」(1960年)の世界的大ヒットで知られています。1950年一家でパリに移り住みますが、ジョーは1956年渡米して大学入学します。その後、フォーク・リバイバルの立役者のピート・シーガーと無名時代のボブ・ディランと出会い、大きな影響を受け、やがて自らも音楽の道を志すようになります。その後、1960年代初頭パリに戻ります。1964年、恋人のマリーセがCBSレコードに持ち込んだジョーのデモテープが大変な評判となり、1965年3月にデビューを果たします。1966年リリースのシングルの大ヒット、1967年のサルヴァトーレ・アダモとのジョイント・コンサートの大成功、そして1969年リリースのシングル「オー・シャンゼリゼ」の爆発的なヒットでトップ・スターとしての地位を不動のものとします。その後も大ヒットは続き、1975年リリースのシングル「インディアン・サマー」も大評判となり、名実ともにフランスの国民的歌手としての評価を得ます。1980年8月20日タチヒで心臓発作の為に死去しました。
エレーヌ・セガラ プロフィール
1971年2月26日フランス南部のヴァール県のシ=フール=レ=プラージュ生まれ。歌の道に進みたいがために15歳で学業を辞め、コート・ダジュールのピアノ・バーに出演します。少女時代にTVで見たジョー・ダッサンに深く感動し、ジョーに手紙を書きます。「あなたのようなシンガーになりたい」と。17歳の時、ジョーの代表的な曲の歌詞を書いていたクロード・レムと出会います。クロードは彼女の才能を評価し、それに勇気づけられて彼女はパリに出て行きます。1993年にデビュー・シングルをリリース、1996年ファースト・アルバムのヒットを受けてイタリア人テノール歌手アンドレア・ボッチェッリからデュエットの申し出があり、一躍注目を浴びます。1998年「ノートルダム・ド・パリ」にジプシー娘エスメラルダ役で出演し、人気を不動のものとします。2000年にはセカンド・アルバムが大ヒットし、2001年にはヴィクトワール賞の女性歌手賞を受賞します。現在までに10枚以上のアルバムをリリースし、2010年〜2012年には「ノートルダム・ド・パリ」のオリジナル・キャスト・コンサートのワールド・ツアーに参加しました。