登川誠仁&大城美佐子
「デュエット」
長きに渡り沖縄民謡界で活躍して来たベテラン2人による、初の共演アルバムです。
レコーディングのプランが具体的に話し合われたのは、2012年5月18日。登川誠仁宅に大城美佐子が訪れ、収録曲に関して打ち合わせしました。そしてその日の内に、レコーディング日程を6月2日〜4日にする事が決まりました。まさに「気が熟したならすぐに」と言った雰囲気でした。
レコーディングは沖縄市山里のサード・ガレージ・スタジオにて、2人が顔を見合わせ、一発録りで録音されました。
収録曲はカチャーシー曲の「谷茶前」「ハリクヤマク」、沖縄民謡の傑作にして大スタンダード曲の「ナークニー〜山原汀間トゥー」「カイサレー」「海ぬちんぼうら〜赤山」など、名曲揃いです。
歌詞はアドリブのセイ小(セイ小=登川誠仁の愛称)の例えよろしく、即興で繰り出されるものもあり、特に「ナークニー〜山原汀間トゥー」は聴き所です。2人の歌・三線をありのままに伝える、生き生きとしたライブ感溢れる本作は、沖縄民謡の真髄を伝える1枚と言えるでしょう。尚、島太鼓と指笛でよなは徹が参加しています。
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※曲のコメントは、本CD収録の小浜司氏の解説から一部引用しました。
1936年大阪市大正区北恩加島生まれ、名護市辺野古育ち。幼少期の頃は昼休みに大人が置いている三線を自己流に弾いていた。祖父や親戚に古典音楽の名人を持ち、20歳頃から古典や舞踊を習う。島唄の神様と言われる嘉手苅林昌や小浜守栄の追っかけもその頃の事。普久原恒勇や上原直彦らに強く勧められ、知名定男の父、知名定繁に弟子入りして民謡の道に進む。
1962年シングル「片思い」でデビュー。その伸びやかな高音が「絹糸の声」と評され大ヒットとなる。
やがて三線1本を抱えて東京、神奈川、大阪など内地を長らく彷徨の後、沖縄に戻り、民謡界の至宝、嘉手苅林昌とデュオを組む。
1973年には東京公演(嘉手苅林昌らとジャン・ジャンほかで)。
1975年には琉球フェスティバルに出演。
1997年には登川誠仁、知名定男のバックアップを受け2枚組大作「絹糸声」をリリース。
2011年には弟子の堀内加奈子とのジョイントアルバム「歌ぬ縁」をリリースし話題となる。
2021年1月18日に84歳で死去。
1932年兵庫県尼崎市に生まれ、本島石川市東恩納に育つ。少年時代から音楽〜芸能の才に長け、親に隠れながら歌や三線を独学した。16歳で当時の主要劇団の一つであった松劇団へ地謡の見習いとして加わり、その後珊瑚座などの人気劇団で修業に励んだ。1957年、小浜守栄、喜納昌永らと共に琉球民謡協会を設立する。同年、神童と謳われた12歳の少年、知名定男が登川に弟子入りする。1970年声楽譜付の楽譜=工工四である民謡端節舞踊曲工工四を発表する。1998年、琉球民謡協会名誉会長となる。
1999年、準主役として登場した映画「ナビィの恋」が沖縄映画史上ダントツの人気をさらった。
2002年には映画「ホテルハイビスカス」に出演。
2004年には弟子の知名定男と大阪ドームで共演する。
2008年、オリジナルソロアルバムとして約6年振りの作品「酔虎自在」をリリース。
2010年にはアルバム「歌ぬ泉」を、2011年には2枚組ライブアルバム「登川誠仁ライブ!〜Just One Night at CAY 2010.8.29〜」をリリース。
2012年には大城美佐子との共演作「デュエット」をリリース。
2013年3月に死去。
主な受賞歴:琉球民謡協会第一回功労賞。沖縄県指定無形文化財に認定。