登川誠仁
「歌ぬ泉」
今年(2010年)11月に78歳を迎える登川誠仁が、前作「酔虎自在」以来2年3ヶ月振りにリリースするオリジナル・アルバムです。
今作はまずバラエティーに富んだ選曲が聴き所です。
CD化が熱望されていたアルバム表題曲ほか、オリジナル曲のM-3、6、9、12(但しM6は作曲のみ)、宮古民謡を代表するM5,カチャーシー・ナンバーのM4,薩摩の伝承曲M8,八重山民謡を代表するM7など多彩な曲を収録しました。
また、ますます円熟味を増した三線、情感豊かな歌唱、ダイナミックな島太鼓(全曲登川誠仁が叩いています)も聴き所です。
今回のレコーディングを終えて「今度のCDは面白いと思う。誠小(セイグワー)らしい歌になっている。あんまり死にたくなくなった(笑)どんどんやりたくなったよ。」「ガソリン(泡盛)は取れなくなったが(注:ドクターストップの為。今は大好きな沖縄産のタバコ、バイオレットが唯一の嗜好品)、エンジンの掛かった演奏にはなっていると思う」とコメントを述べています。さらに登川誠仁が現在育成に力を注いでいる愛弟子、仲宗根創(はじめ)の歌、三線も聴き所です。
サード・ガレージ・スタジオ(沖縄市)にて2009年12月に録音。
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1932年兵庫県尼崎市に生まれ、本島石川市東恩納に育つ。少年時代から音楽~芸能の才に長け、親に隠れながら歌や三線を独学した。16歳で当時の主要劇団の一つであった松劇団へ地謡の見習いとして加わり、その後珊瑚座などの人気劇団で修業に励んだ。1957年、小浜守栄、喜納昌永らと共に琉球民謡協会を設立する。同年、神童と謳われた12歳の少年、知名定男が登川に弟子入りする。1970年声楽譜付の楽譜=工工四である民謡端節舞踊曲工工四を発表する。1998年、琉球民謡協会名誉会長となる。
1999年、準主役として登場した映画「ナビィの恋」が沖縄映画史上ダントツの人気をさらった。2002年には映画「ホテルハイビスカス」に出演。2004年には弟子の知名定男と大阪ドームで共演する。2008年、オリジナルソロアルバムとして約6年振りの作品「酔虎自在」をリリース。2010年にはアルバム「歌ぬ泉」を、2011年には2枚組ライブアルバム「登川誠仁ライブ!~Just One Night at CAY 2010.8.29~」をリリース。2012年には大城美佐子との共演作「デュエット」をリリース。2013年3月に死去。
主な受賞歴:琉球民謡協会第一回功労賞。沖縄県指定無形文化財に認定。