登川誠仁
「酔虎自在」
今作制作の動機は「私が残したいと思う沖縄民謡を、次の世代に伝えたい」との思いです。 登川誠仁自身がセレクトした民謡曲、そしてオリジナル曲に込めたメッセージを形にして残しておきたい。 「年を取るとあちこちくたびれて来るが、口はまだくたびれていない。元気な内に是非形にしておきたい。そしてそれを次の世代に伝えたいと思ったんだ。」 7歳から歌・三線を始め、先輩から多くの歌を教わり、受け継いできた登川誠仁が、それを次の世代に出来る限り伝えて行きたいと考えています。「85歳までにあと何枚かアルバムを出したいと思っている。それにしても9歳からタバコ、そして11歳から酒を始めた割にはよく生きていると思う。」
本作収録曲の選曲は本人自身のセレクトによるものです。
収録曲は大きく2つに分かれます。(1)沖縄民謡曲。(2)オリジナル曲。(1)はカチャーシー曲のM1、八重山民謡のM6、口説(くどぅち・ラップのような語り口調の曲)のM4・8、琉球古典曲のM12などです。(2)は作詞のみ(曲はもともとあった伝統曲)のM9・10・11・13。作詞・作曲のM2・14です。
今回の収録曲の中でも、自身の孫との合唱曲であるM9・14はレコーディング初日の最初に録音された、特に思い入れが深い楽曲です。
登川誠仁:歌、三線、六線、島太鼓
上勢頭(かみせど)みゆき:三線、歌、ハヤシ
仲村奈月:三線、歌、ハヤシ、三板
仲宗根 創(はじめ):三線、歌、ハヤシ
登川嬉希(よしき):歌(M9・14)
登川麻琴 : 歌(M9・14)
當間(とうま)美緒:歌(M9・14)
沖縄ゴザ・サードガレージスタジオにて。2007年8月録音
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1932年兵庫県尼崎市に生まれ、本島石川市東恩納に育つ。少年時代から音楽~芸能の才に長け、親に隠れながら歌や三線を独学した。16歳で当時の主要劇団の一つであった松劇団へ地謡の見習いとして加わり、その後珊瑚座などの人気劇団で修業に励んだ。
1957年、小浜守栄、喜納昌永らと共に琉球民謡協会を設立する。同年、神童と謳われた12歳の少年、知名定男が登川に弟子入りする。1970年声楽譜付の楽譜=工工四である民謡端節舞踊曲工工四を発表する。1998年、琉球民謡協会名誉会長となる。
1999年、準主役として登場した映画「ナビィの恋」が沖縄映画史上ダントツの人気をさらった。2002年には映画「ホテルハイビスカス」に出演。2004年には弟子の知名定男と大阪ドームで共演する。2008年、オリジナルソロアルバムとして約6年振りの作品「酔虎自在」をリリース。2010年にはアルバム「歌ぬ泉」を、2011年には2枚組ライブアルバム「登川誠仁ライブ!~Just One Night at CAY 2010.8.29~」をリリース。2012年には大城美佐子との共演作「デュエット」をリリース。2013年3月に死去。
主な受賞歴:琉球民謡協会第一回功労賞。沖縄県指定無形文化財に認定。