登川誠仁、知名定男

「登川誠仁 & 知名定男」

「登川誠仁 & 知名定男」
沖縄民謡界の風雲児、民謡番長──登川誠仁・知名定男、二人のデュオ・アルバム

■本作について

全15曲、70分の大作。
カチャーシ曲のアッチャメー小、登川流十九の春、ナークニーからハンタ原の情感溢れるメドレーの素晴らしさ 。 まさにワン・アンド・オンリーの沖縄民謡の大傑作にして大注目作。

『ナビィの恋』、『ホテル・ハイビスカス』の出演を経て、一躍時の人となった琉球 民謡協会名誉会長の登川誠仁と『バイバイ沖縄』の大ヒット、ネーネーズのプロデュー サーとしても知られる知名定男。2人が本格的に組んだ初のアルバムが完成しました。 沖縄民謡界を代表する2人が組んだ、まさに待望の作品です。

1945年生まれの知名定男は12歳の時、登川誠仁の弟子となり、長くその門下で教え を乞いながらも、独自の世界を磨いて来ました。1975年にリリースされた登川誠仁のアルバム『美ら弾き』では素晴しいサポートプレイヤーとしてレコーディングに参加 しました。1995年から再開された『琉球フェスティバル』ではプロデューサーとして、 日本武道館にて登川誠仁と故嘉手苅林昌のジョイントを企画、また2001年9月東京にて行われた登川誠仁の久しぶりのコンサートは、知名定男の力添えなくしては実現しませんでした。本作はその様な長きに渡る2人関係が形になった初のジョイントフル アルバムです。
今回の企画は、2003年10月コザでの打ち合わせにて、11月中にレコーディングを行 いたいとの登川誠仁からの意向を元に、その後、登川宅にてレコーディングの選曲に 関するミーティングを行いました。究極の選曲だよ。』とセレクトされた曲に関し ての知名定男のコメントです。 レコーディングは11月27日からコザの普久原スタジオで行われました。『これとは (知名定男とは)今迄この曲は演奏した事がない。今回、是非やってみたいんだ。』 とのコメントの元演奏された『アッチャメー小』。元ネーネーズの吉田(宮里)康子 を交えての『金細工』、『挽物口説』の素晴しいテンションによる歌と演奏。太鼓、 三板のダビングは登川と吉田がお互い顔を見合わせながら、演奏しました。ヘッドフォンから流れて来る吉田の三板に乗せられて、踊る様に太鼓を打つ登川の姿が印象的でした。
今を生き、尚前進を続ける2人が心から楽しみながらレコーディングした本作は、 現在の沖縄民謡を代表する一枚と言えるでしょう。


■収録曲

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1. スーキカンナー(沖縄民謡)
沖縄各地の名産物を、行商人達が競い合って売っている様を歌っている
2. 油断しるな(作詞・曲 登川誠仁)
油断をしないで、日々頑張って心を一つにして働きましょうと歌っている。
3. 金細工(沖縄民謡)
舞踊曲。金細工とは鍛治屋の事。鍛治屋の男性と遊女の恋の逃避行を歌い込んでいる。
4. 十九の春(作詞 本竹裕助 補作詞 登川誠仁 作曲 沖縄民謡)
登川版十九の春。
5. アッチャメー小(沖縄民謡)
アッチャメとは歩きながら舞うの意味。沖縄民謡のダンスナンバー。
6. ナークニー〜汀間とぅ(沖縄民謡)
むかし若い男女が野原で歌い踊った、毛遊びの際に歌われた曲。ナークニーは宮古島から渡って来た曲が元にある。
7. 川平節(沖縄民謡)
元曲は八重山民謡であり、舞踊曲として知られている。
8. スンガ節〜永良部百合の花(沖縄民謡〜永良部民謡)
「永良部百合の花」の元歌の一つとなったと言われるスンガー節と奄美・沖永良部民謡のメドレー。
9. 豊節(作詞・曲 登川誠仁)
ミルク世(平和な世界)をみんなで祈って生きましょうと歌い込まれている。
10. ハンタ原(沖縄民謡)
6曲目と同じ、毛遊びの際に歌われた。原は原っぱ。毛遊びの行われた野原から、想いを込めた恋歌。
11. 加那ヨー(沖縄民謡)
舞踊曲。愛する恋人よ(加那ョー)と呼び掛けたラブ・ソング。
12. 新デンサー節(作詞・曲 登川誠仁)
沖縄は歌に三線 他国に知れ渡る、昔の歌い手の手本をばここに。そうだよデンサー、今に伝わる古(いにしえ)の教え(アルバム「スピリチュアル ユニティ」より。対訳 藤田正)と歌われている。
13. 前当小の主(作詞・曲 登川誠仁)
50,60になる男が結婚もしないでお金だけを溜めている。これから先、人生どうしたものかと悩んでいた。その時、偶然現れた女性に惚れ込んで、財産を注ぎ込んでしまった男の事を歌っている。2003年の新曲。
14. ヤッチャー小〜泊高橋(沖縄民謡)
ヤッチャー小は、毛遊び曲。「恋しいあなた、女心を解って下さい。」と歌い込まれている。泊高橋はカチャーシ曲。
15. 挽物口説〜唐船ドーイ(沖縄民謡)
3曲目は鍛冶屋の事。そしてこの曲はよろず大工が、那覇から具志川までの道中での事を歌い込んでいる。「唐船ドーイ」は最も有名なカチャーシ(ダンス)ナンバー。

登川誠仁ー歌、三線、島太鼓(M2,3,5,7,15)
知名定男ー歌、三線、琉琴、島太鼓(M1,11,13)
ゲスト:吉田康子ー歌(M3,15)、三板(M2,5,15)、指笛(M5)


■登川誠仁プロフィール

1932年兵庫県尼崎市に生まれ、本島石川市東恩納に育つ。少年時代から音楽〜芸能の才に長け、親に隠れながら歌や三線を独学した。16歳で当時の主要劇団の一つであった松劇団へ地謡の見習いとして加わり、その後珊瑚座などの人気劇団で修業に励んだ。1957年、小浜守栄、喜納昌永らと共に琉球民謡協会を設立する。同年、神童と謳われた12歳の少年、知名定男が登川に弟子入りする。1970年声楽譜付の楽譜=工工四である民謡端節舞踊曲工工四を発表する。1998年、琉球民謡協会名誉会長となる。
1999年、準主役として登場した映画「ナビィの恋」が沖縄映画史上ダントツの人気をさらった。2002年には映画「ホテルハイビスカス」に出演。2004年には弟子の知名定男と大阪ドームで共演する。2008年、オリジナルソロアルバムとして約6年振りの作品「酔虎自在」をリリース。2010年にはアルバム「歌ぬ泉」を、2011年には2枚組ライブアルバム「登川誠仁ライブ!〜Just One Night at CAY 2010.8.29〜」をリリース。2012年には大城美佐子との共演作「デュエット」をリリース。2013年3月に死去。
主な受賞歴:琉球民謡協会第一回功労賞。沖縄県指定無形文化財に認定。

■知名定男プロフィール

1945年大阪生まれ。父は琉球民謡界に多大な功績を残した故・知名定繁。
小さい頃から音楽的才能を発揮し、1957年、米軍統治下にあった沖縄へ密航、登川誠仁に師事することになる。同年「スーキカンナー」で華々しくデビュー。72年沖縄音楽史上空前の大ヒット曲「うんじゅが情どぅ頼まりる」を作詞/作曲。78年にはアルバム「赤花」で本土デビュー。収録曲「バイバイ沖縄」は島唄にレゲエをミックスさせた曲として注目される。
その後91年からネーネーズのプロデュースを始め、同年ソロアルバム「島うた」、92年には「島や唄遊び」、96年には二代目襲名披露公演のライブ盤「遊び唄・情け節」を発表。またブラジル在住の沖縄系二、三世でつくる民謡グループ、トントンミー、男性4名からなる琉球民謡グループ、ザ・フェーレー、鳩間島出身の鳩間可奈子、吉田康子、新生ネーネーズなど、多数のアーティストのプロデュースも手がけている。
2004年には師匠の登川誠仁とアルバムをリリース。同年9月大阪ドームの琉球フェスティバルに2人で出演。現在琉球音楽協会会長を務め、那覇の国際通りでライブハウス島唄を運営している。