デニス・カマカヒ

「プアエナ〜そよかぜのギター、優しき歌声〜」

ハワイアン・スラック・キー・ギター・マスターズ・シリーズ (21)

そよかぜの様にさわやかなギターと、優しくロマンティックな歌声。
ハワイを代表するスラック・キー・ギタリスト、デニス・カマカヒのアルバムが日本盤として初リリース!

3回のグラミー賞を獲得。500曲以上の作曲を行い、
ハワイのミュージシャンとして初めてスミソニアン博物館にギターが収蔵されている、
まさにハワイを代表するアーティストであり、レジェンドの1人!
7、8,12曲目はフラにも最適の楽曲です。


■アルバムの内容

その優しき歌声とそよかぜの様なギターには、一度聴いたらたちまち魅了されてしまいます。デニス・カマカヒのアルバムとして初の日本盤としてのリリースであり、デニスのボーカルとギターの魅力が存分に堪能出来る作品です。本作は全曲デニスの歌とギターのみで構成されており、オリジナル曲9曲、リリウオカラニ女王の作品が3曲、ハワイアンの古典作品3曲で構成されています。本作収録のオリジナル曲について「私の曲の大半はハワイへの愛や美しさ、そして私にとって特別な人々についてのものなんだ」と述べています。
デニスは惜しくも2014年にこの世を去りましたが、残された作品は今なお輝き続けており、ハワイ音楽の名盤として長く聴き続けられています。1996年発売の本作もまたしかりです。
なおプアエナとは「明るく輝け」の意味になります。また、ジャケットの“REVEREND”はデニスが牧師であった事を意味します。


■収録曲

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01. アヘ・ラウ・マカニ
リリウオカラニ女王によって1868年に作曲されたこの曲は“緑を通して吹いて来るそよ風”の意味となり、恋人に 対する想いを詩的に表現した曲です。
02. スウィート・バイ・アンド・バイ
デニスのオリジナル曲であるこの曲は、恋い焦がれる人への求愛の想いが歌い込まれています。
03. カペラ
この曲もオリジナル曲で、友人の母親のために書いた曲です。
04. ヒロ・ラグ
1994年にハワイのヒロで行われたスラック・キー・ギター・フェスティバルで作曲された曲です。
05. カウアイ・オ・マノ
カウアイ島の最高峰の山ワイアレアレのために書かれた曲です。「私の大好きな山なんだ」(デニス)。
06. アパパネ
リリウオカラニ女王が1874年に作ったメレ・ホオイポイポ(恋歌)です。ちなみに「女王はかなりの腕前のスラック・ キー・ギタリストだった」とデニスが語っています。
07. コケエ
デニスの代表曲であるこの曲は、ハワイ島にあるデニスが生前好んで訪れた土地コケエに曲想を得た曲です。
08. イポ・レイ・マヌ
1891年にカピオラニ女王が夫のデイヴィッド・カラカウア王のために思慕の想いを込めて書いた曲です。
09. ニニポ・ホオニポ
ハワイ島を題材にしたこの曲は、リリウオカラニ女王がハワイ島のプナに旅した1876年の作品です。
10. アフリリ
マウイ島を舞台にしたパニオロ(カウボーイ)ソングです。「もしもミュージシャン以外で他の仕事につくならパニオ ロになりたい」(デニス)。
11. ワイキキ・フラ
カメハメハ・スクールに登校する女の子を待つ男の子の事を描いた作品です。
12. ワヒネ・イリケア
この曲のタイトル「ワヒネ・イリケア」はモロカイ島の山、カマコウに漂う白い霧の事を描いています。
13. ナ・クパ・オ・ワイアナエ
オアフ島のワイアナエ海岸に捧げられた曲です。「現代の若者たちに、クグナ(年長者)を尊敬し実直さや正義などを 大切にして生きようと訴えかけている歌詞です」(デニス)。
14. プロミシズ(約束)
デニスのオリジナル曲であるこの曲は、1978年の最初の結婚記念日に妻のロビンのために書かれました。
15. レイ・クプクプ
オリジナル曲のこの曲は、愛を誓い合い、レイ・ハク(複数の種類の花を混ぜたレイ)を作ることを喜びとする人々の ために書かれました。

※全曲ヴォーカル入り(但し4曲目のみインストルメンタル曲)
※2,3,4,5,7,12,13,14,15曲目はオリジナル曲


■デニス・カマカヒ プロフィール

1953年ホノルル生まれ。3歳の時に母の古いマーティン製のウクレレを手に取った。その後祖父のデイヴィッド・ナオオ・カマカヒと父のケネス・カマカヒからギターを教わる。
11歳から13歳のころには一日8時間スラック・キー・ギターを弾く様になる。
ギターを弾く中で、ハワイを代表するギタリスト、ギャビー・パヒヌイ、サニー・チリングワース、レオナード・クワン、レイ・カーネ、アッタ・アイザクスなどから強い影響を受ける。またロックからも大きな影響を受け、高校時代に“ナ・パニオロ”というバンドを結成した。

1972年にはハワイを代表するバンド、“ザ・サンズ・オブ・ハワイ”のバンドリーダーであるエディ・カマエに出会い、1973年にメンバーとして同バンドに加わり、多くの曲を作曲し、1995年まで在籍した。
1996年に10年ぶりのレコーディング作となる本「プアエア〜そよかぜのギター、優しき歌声〜」をリリース。またこのアルバムは初めての全曲ソロのスラック・キー・ギターによるアルバムでもある。1999年には息子のデイヴィッドのウクレレを交えてのアルバム「オハナ〜素晴しきファミリー・デュエット〜」をリリースし、話題となる。

その後ジョージ・ウィンストンプロデュースによるアルバム「Hui Aloha」に参加。
2003年には自身のプロダクションを設立。
2011年には最後のアルバムとなる「Waimaka Helelei」をステファン・イングリースと共作でリリース。
2014年4月28日に亡くなる。

生前500曲以上の作曲を行い、多くの曲はハワイアンのスタンダード曲として今も演奏されている。また3回のグラミー賞を獲得しており、2012年にはハワイのミュージシャンとして初めてスミソニアン博物館にギターが収蔵された。その経歴はまさにハワイを代表するギタリスト、ボーカリスト、作曲家として正真正銘のレジェンドと言える。