上原昌栄
「ウチナー・ビート!」
音楽ひとすじ54年。そのスティックさばきがますます冴え渡る、上原昌栄初リーダーアルバム。
2010年に死去された沖縄を代表するピアニストであり、沖縄JAZZ協会の会長でもあった屋良文雄氏の後を受けて、同協会の会長に就任し、ますます沖縄JAZZを広めるべく精力的に活動を続けています。また学校公演を含めて、若手の育成にも力を注いでおり、その大らかな人柄とダイナミックなドラムスタイルは多くの支持を得ています。
本アルバムは若手ジャズメン、真栄里英樹(まえさとえいき・36歳のトロンボーン奏者)のサウンドプロデュースの元、今作の為のオリジナル曲を中心に、上原が長く演奏してきたカヴァー曲も交えての構成となりました。編成はビッグ・コンボ、上原自身のカルテット、ストリングス・カルテットと多彩です。
上原は述べています──「沖縄駐留の米軍には米本国で一流ミュージシャンがいたり、フィリピンジャズも日本を凌いでおり、私たち沖縄のミュージシャンはその人達から演奏、音楽技術を吸収していました。また米本国より輸入されたジャズレコードが直接PXで入手できたので、磨り減るまで一生懸命聴いたものです。またパスポートを持って東京まで出かけ、ジーン・クルーパー、バディー・リッチ、アート・ブレイキー、マックス・ローチの生演奏を聴きに行ったりしました。」
本作はまさに第二次世界大戦を経て、戦後の沖縄をジャズと共に歩んできた、一人のジャズマン、上原昌栄の軌跡を刻んだ作品です。
ライブの定番曲である2、6、7曲目。75歳にしてさらに前に進むべく、その心意気を伝えるアルバム表題曲。沖縄音階の印象的なフレーズから始まる、陽気な4曲目はまさに上原の人生そのものです。そして長きに渡り親交を結んで来た、ピアニスト屋良文雄に捧げるレクイエムの3曲目は本当に感動的です。さらにボーナス・トラックは、ドラムと同様に長く親しんで来た三線をフューチャーした「十九の春」。
沖縄ジャズの心意気が伝わって来る素晴らしい作品です。
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ボーナス・トラック
※3、5、8、10、12、13曲目はインストゥルメンタル曲です。
1936年1月15日那覇市生まれ。父親が琉球古典音楽をやっていた関係で、物心がつく前から音楽に対して関心を持つ様になる。
1947年「コーリューブンゲン」を教わり、音楽の基本を学ぶ。
1951年辺土名高校に入学し、ブラスバンド部に入部。(トロンボーンを担当。その後トランペットを担当。)
1953年高校に在学中、米軍のクラブでプレイするようになる。担当楽器はギターとトランペット。その後ドラムを担当する様になる。
1954年高校卒業後も米軍のクラブを中心に演奏を続ける。
1960年沖縄一を誇るクラブ「V.F.Wクラブ」のオーディションに合格。以後13年間ここを中心に演奏を続ける。
1979年琉球古典音楽の研究所に入門する。
その後も精力的に活動を続け、沖縄JAZZシーンを代表するボーカリスト、与世山澄子との共演や、沖縄サミット関連のコンサートへの出演、那覇市平和芸術祭ふれあいジャズコンサートへの出演など多くのステージを行う。
現在も屋良文雄氏のジャズライブハウス「寓話」に毎週土曜日、自身のカルテットで出演中。沖縄JAZZ協会の会長。
尚2008年度の第43回沖縄タイムス芸術選賞の「洋楽・邦楽部門」を受賞。
自身のドラムスを「私の叩くジャズドラムはどことなく沖縄的な雰囲気があるとよく言われます。やはり父の影響があったのでしょうが、幼い頃から三線を手にし、琉球古典音楽をやるようになった私の体の中には沖縄のリズムが自然に流れていると思います」──と述べています。