登川誠仁

「酔虎自在」

「酔虎自在」
沖縄民謡界を代表する歌者、登川誠仁6年振りのオリジナル・ソロ・アルバム!
75歳を超えた登川誠仁が全力投球で録音した全14曲、71分51秒!

■本作について

今作制作の動機は「私が残したいと思う沖縄民謡を、次の世代に伝えたい」との思いです。 登川誠仁自身がセレクトした民謡曲、そしてオリジナル曲に込めたメッセージを形にして残しておきたい。 「年を取るとあちこちくたびれて来るが、口はまだくたびれていない。元気な内に是非形にしておきたい。そしてそれを次の世代に伝えたいと思ったんだ。」 7歳から歌・三線を始め、先輩から多くの歌を教わり、受け継いできた登川誠仁が、それを次の世代に出来る限り伝えて行きたいと考えています。「85歳までにあと何枚かアルバムを出したいと思っている。それにしても9歳からタバコ、そして11歳から酒を始めた割にはよく生きていると思う。」

■収録曲について

本作収録曲の選曲は本人自身のセレクトによるものです。
収録曲は大きく2つに分かれます。(1)沖縄民謡曲。(2)オリジナル曲。(1)はカチャーシー曲のM1、八重山民謡のM6、口説(くどぅち・ラップのような語り口調の曲)のM4・8、琉球古典曲のM12などです。(2)は作詞のみ(曲はもともとあった伝統曲)のM9・10・11・13。作詞・作曲のM2・14です。
今回の収録曲の中でも、自身の孫との合唱曲であるM9・14はレコーディング初日の最初に録音された、特に思い入れが深い楽曲です。

■参加ミュージシャン

登川誠仁:歌、三線、六線、島太鼓
上勢頭(かみせど)みゆき:三線、歌、ハヤシ
仲村奈月:三線、歌、ハヤシ、三板
仲宗根 創(はじめ):三線、歌、ハヤシ
登川嬉希(よしき):歌(M9・14)
登川麻琴 : 歌(M9・14)
當間(とうま)美緒:歌(M9・14)
沖縄ゴザ・サードガレージスタジオにて。2007年8月録音


■収録曲

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1.屋ヶ名クファデーサー〜スヌ万才
作詞:沖縄民謡・登川誠仁(主ぬ万歳3番のみ) 作曲:沖縄民謡
「クファディーサー」とは南島にまれな落ち葉の喬木の事。屋ヶ名地方のその木の下での、若者たちの浜遊びの様が歌い込まれていますスヌ万才は男女の交遊歌で軽快なメロディーが特色です。
2.新夢の沖縄島
作詞:登川誠仁 作曲:登川誠仁
豊かな島、人情深き島、沖縄賛歌。
3.挽物口説〜唐船ドーイ
作詞:沖縄民謡 作曲:沖縄民謡
よろず大工が那覇から具志川までの道中での事をユーモラスに歌い込んでいる挽物口説。「唐船ドーイ」は最も有名なカチャーシー・ナンバー。
4.孝口口説
作詞:沖縄民謡 作曲:沖縄民謡
親の思いを十分に感じ、親のありがたみを知りなさいと歌い込まれています。
5.鳩間節〜仲作田節
作詞:八重山民謡(鳩間節)・沖縄民謡(仲作田節 作曲:八重山民謡(鳩間節)・沖縄民謡(仲作田節)
沖縄芝居の名優、伊良波尹吉(いらはいんきち)が振りを付けた舞踏の人気曲。仲作田節は濃密な恋の歌です。
6.八重山育ち
作詞:八重山民謡 作曲:八重山民謡
トゥバラーマ、ションカネーと言った八重山民謡の代表曲のタイトルを歌い込んだ八重山賛歌。
7.金細工
作詞:沖縄民謡 作曲:沖縄民謡
金細工とは鍛冶屋の事。鍛冶屋の男性と遊女の恋の逃避行を歌い込んでいます歌。
8.道輪口説
作詞:沖縄民謡 作曲:沖縄民謡
口説と言う形式は本土から来ました。この曲は別名「早口説(秋の踊り」。哀愁を帯びた曲詞の教訓歌です。
9.まーみなー節
作詞:登川誠仁 作曲:沖縄民謡
原曲は「むち(漆喰)搗ちゃー小」。哀愁を帯びた曲詞の教訓歌。
10.恋の花節(有明ぬ今宵)
作詞:登川誠仁 作曲:沖縄民謡
八重山から伝わった「恋の花」が沖縄本島で歌詞を新たにして出来たのがこの曲です。風流人達が作った恋歌。
11.固み節
作詞:登川誠仁 作曲:八重山民謡
物ごとの成就を求める律動的なメロディーが特徴です。
12.揚作田〜伊集早作田
作詞:琉球古典民謡 作曲:琉球古典民謡
物ごとの成就を求める律動的なメロディーが特徴です。
13.ヤリクヌシー
作詞:登川誠仁 作曲:沖縄民謡
舞踊の退散シーンで使われる、人生の機微を歌い込んだ優美な歌です。
14.ゆしぐとぅ
作詞:登川誠仁 作曲:登川誠仁
諭すように説く教訓歌。囃子詞で歌詞のメッセージに対する受け答えが歌われている。オリジナルによる新作民謡です。


■登川誠仁 プロフィール

1932年兵庫県尼崎市に生まれ、本島石川市東恩納に育つ。少年時代から音楽~芸能の才に長け、親に隠れながら歌や三線を独学した。16歳で当時の主要劇団の一つであった松劇団へ地謡の見習いとして加わり、その後珊瑚座などの人気劇団で修業に励んだ。
1957年、小浜守栄、喜納昌永らと共に琉球民謡協会を設立する。同年、神童と謳われた12歳の少年、知名定男が登川に弟子入りする。1970年声楽譜付の楽譜=工工四である民謡端節舞踊曲工工四を発表する。1998年、琉球民謡協会名誉会長となる。
1999年、準主役として登場した映画「ナビィの恋」が沖縄映画史上ダントツの人気をさらった。2002年には映画「ホテルハイビスカス」に出演。2004年には弟子の知名定男と大阪ドームで共演する。2008年、オリジナルソロアルバムとして約6年振りの作品「酔虎自在」をリリース。2010年にはアルバム「歌ぬ泉」を、2011年には2枚組ライブアルバム「登川誠仁ライブ!~Just One Night at CAY 2010.8.29~」をリリース。2012年には大城美佐子との共演作「デュエット」をリリース。2013年3月に死去。
主な受賞歴:琉球民謡協会第一回功労賞。沖縄県指定無形文化財に認定。