玉栄政昭(たまえまさあき)

「ビューティフル・オキナワ・メロディーズ」

「ビューティフル・オキナワ・メロディーズ」
ネーネーズのデビューアルバムの表題曲「IKAWU(行かうー)」を含む、ピアノソロによる珠玉の沖縄音楽集。

■本作について

ネーネーズ、前川守賢など、多くの沖縄在住アーティストとのレコーディング、「IKAWU(行かうー)」を始め多数の書き下ろし作品や楽曲アレンジ、オペラ、ミュージカルの仕事も手掛ける、ピアニスト玉栄政昭59歳にして初の全国発売アルバムです。
普段は歌・三線で奏でられる沖縄音楽ですが、本作で聞かれるピアノのフレーズには、三線の爪弾きにも通じる素朴なニュアンスが感じられます。またピアノソロでありながらも、どこか歌が聞こえてくる様に思えるのも、沖縄で生まれ育ったピアニストならではです。
本作はそんな玉栄の持ち味が出た“沖縄らしい”作品です。収録曲は「安里屋ユンタ」を始め地元沖縄で愛されている民謡から、「涙そうそう」「島人ぬ宝」など琉球ポップスの定番曲まで、多くの方に親しまれている楽曲を収録しました。併せて今作で是非お聴き頂きたい曲が「IKAWU(行かうー)」です。沖縄からアルゼンチンに移民する人々の心情を歌い上げた曲であり、(“行かうー”とは行ってまいりますの意味です。移民県沖縄では1960年代初頭まで南米を始め各地に移民する人々がいました。玉栄の親戚もボリビアに移民しており、このことが「IKAWU(行かうー)」書き下ろしの切っ掛けとなりました。)M7のピアノソロに加えて、ボーナストラックとしてM15にヴォーカルテイクを収録しております。
沖縄音楽のアルバムは多数ありますが、ピアノソロによるアルバムはほとんどありません。59年間玉栄が培ってきた、独特のフィーリングと沖縄音楽に対する解釈をお楽しみ下さい。


■アンケートハガキでのご感想をご紹介いたします

沖縄音楽を三線ではなく、ピアノで奏でることが、こんなに心癒されるものかと、しみじみ思いました。玉栄さんの技術、才能もあらためて感じました。このCDのピアノ楽譜もあったらいいのですが!
──女性/家事/50才

とてもきれいで静かな旋律で、ピアノの音色がよく聞きとれて、久々の落ち着きをもらった曲でした。
──女性/自営業/60才

沖縄音楽とピアノと云う組み合わせがとても良いと思ってます。私は若い頃からのクラシックファンですが、このCDは愛聴CDの中に加わりました。玉栄さんの意図であるクラシックとの融合がピアノ(編曲)を通じて好感です。
──79歳 男性

充実した内容で毎日新聞記事の通りだった。本物のアーティストを聴けた。
──63歳・女性・学校講師

 

■収録曲

試聴 クリックでウインドウが開きます。

1. 安里屋ユンタ
沖縄民謡 サーユイユイーの掛け声で知られる沖縄民謡の代表曲。
2. 涙そうそう
作曲:BEGIN 夏川りみの大ヒット曲。
3. 十九の春
沖縄民謡 歌のルーツは「ラッパ節」。沖縄民謡の代表曲。
4. 童神〜天の子守唄〜
作曲:佐原一哉 元ネーネーズのメンバー古謝美佐子のヒット曲。
5. ちんぬくじゅうしい
作曲:三田信一 沖縄のわらべ歌。ちんぬくじゅうしいとは里芋の雑炊の意。
6. 島人ぬ宝
作曲:BEGIN BEGINの大ヒット曲。
7. IKAWU(行かうー)
作曲:玉栄政昭 玉栄のオリジナル代表曲。
8. 汗水節
作曲:宮良長包 「えんどうの花」などで知られる八重山を代表する作曲家、宮良長包の手による作品。働く喜びを歌っている。
9. 花〜すべての人の心に花を〜
作曲:喜納昌吉 喜納昌吉の大ヒット曲。
10. てぃんさぐぬ花
沖縄民謡 沖縄を代表する教訓歌。てぃんさぐぬ花とは鳳仙花のこと。
11. ウーマクカマデー
作曲:三田信一 沖縄のわらべ歌。ウーマクカマデーとはやんちゃ坊主の意。
12. 芭蕉布
作曲:普久原恒勇 1960年代にローカルヒット、1970年代に全国ヒットした沖縄カラオケの定番曲。
13. 肝がなさ節
作曲:普久原恒勇 1990年代初頭のローカルヒット曲。肝とは心、がなさは愛情の意。心と心の通い合う愛情の大切さをテーマにした曲。
14. イラヨイ月夜浜
作曲:比嘉栄昇 八重山民謡界を代表する大島保克のヒット曲。
15. IKAWU(行かうー)
作詞・作曲:玉栄政昭 M7のボーカルテイク。


■玉栄政昭(たまえまさあき) プロフィール

1947年、沖縄本島東側の勝連町生まれ。父親は琉球古典音楽の重鎮である玉栄昌治。琉球民謡の重鎮である知名定繁は叔父、知名定男は従兄弟にあたる。音楽的に恵まれた環境に身を置きながら、玉栄自身は古典音楽や民謡は「技術的に到達できないもの」と認識していた。19歳のときに集団就職で横浜に渡る。その後、佐藤公彦氏にクラシックギターを、河原田幸子氏にピアノを師事。25歳で沖縄に戻り、照屋林賢、知名定男とバンドを結成したり、初期りんけんバンドのキーボードプレーヤーとして参加。1980年にはシングルレコード「さらば中の町/IKAWU」をリリース。
1988年には日伊オペラ協会の委嘱によりオペラ「平安座ハッタラー」の作曲及び指揮を執る。2003年には文化庁拠点形成事業「島にジャズがやって来た」音楽監督。2004年にはマキシシングル「かまぼこが売れますように」がローカルヒット。この曲には第二次世界大戦後、夫を亡くした女性がかまぼこを少しでも多く売って、子供の学費を稼ぎたいと願う心情が歌われている。